ドキュメンタリー映画 | 音、鳴りやまぬ。

メガタウン池袋の東西に今も残る3つの「まつり」
―長崎獅子舞、冨士元囃子、雑司が谷御会式

コロナ禍、少子高齢化 …時の流れに直面しながら、それでも「音」は鳴り続ける。
コロナ禍の大都会の中に息づく、知られざる祭礼の姿を克明に描いたドキュメンタリー

2022|日本|90分|カラー|DCP|ドキュメンタリー

STORY

手のつけられない悪童だった少年時代の記憶に対する贖罪のように、地域社会への責任を果たそうとする男と、その男の振る纏(まとい)に憧れる小学生。

富士山信仰を今に残す富士塚を守る人々が奏でる囃子と、彼らが直面する後継者問題。

疫病退散祈願のために始まった獅子舞を何とか残そうとする男と、彼が育てた三人の若者たちの決意。


蔓延するコロナ禍の渦中で、人々は祭りを行えぬことに戸惑い、怒り、嘆いていた。

それでも、もがいていた人々がいる。

祭礼を信じ、守ろうとしていた人々がいる。

誰も経験したことのない時代の中、それでも音は鳴り続けるのであった…。

本作品について

2020年から続く収束の見えないコロナ禍にあって、日本各地のお祭りや地域行事などの祭礼は次々中止を余儀なくされていました。

本作の舞台となる池袋周辺には、全国的にはあまり知られていないものの連綿と継承されてきた幾つかの祭礼があります。

その中の「長崎獅子舞」「冨士元囃子」「雑司が谷御会式」を継承する三つの団体に、2021年に半年近くかけて密着取材を行い、オムニバス形式のドキュメンタリー映画『音、鳴りやまぬ。』として完成させました。

『音、鳴りやまぬ。』上映会

CAST

長崎獅子連

冨士元囃子連中

雑司ヶ谷鬼子母神
御会式連合会

監督 コメント

改めて言うまでもないことだが、いつの時代でも、誰かがその時代を「記録」してきた。そしてそれを担ってきたのは偶然、縁ができた者であっただろう。今回取材の中で、一言一句は忘れてしまったが「御会式の太鼓の音を聴いた者には縁が生じる」という話が未だに頭に残っている。縁というものは、ガッチリ固定した動かしづらいものではなく、四六時中どこにでも生じ、波紋のように無数に拡散していくものなのかもしれない。だからこそ、その波紋が僕のところにまで届いたのだろうか。

取材を通じて、今、コロナの時代だからこそ、各団体のカタログ映像を作るのではなく、祭礼が行えないという事をこそ記録しなければならない、そう思った。それを残すことが、上で述べてきたような記録の連なりに対する責任であるのだと。なぜ出来ないのか、やらないと一体どうなるのか。3ヶ月間の取材を終え、その問いに対する現時点での仮説的な回答を以下に書いておくことにする。

祭礼を行えない、音が何も生じないということは、それを行うコミュニティの存続に重大に関わる。祭礼とは、「コミュニティ感」というものを担保する中心的なものだからだ。もっと言ってしまえば、祭礼はコミュニティそのもの、産土神そのものだとも言える。音が生じない、その土地に響かないということは、縁がまったく生まれないということであり、人がバラバラに切り離されていってしまうということだ。鳴りやんでみて、わたしたちは初めて気づいた。だからこそ音は鳴りつづけねばならない。人がそこに生きているのだから。

監督:長岡参|Mile Nagaoka

映画作家。株式会社エヴォリューション取締役。1979年、千葉県四街道市生まれ。フリーランスとして東京で様々なクリエイティブの仕事に従事した後、より本質的な暮らしとは何か?を考え、それを映像化するべく2010年に拠点を徳島に移し、民俗学的/文化人類学的視座と、一生活者としてのリアルな感覚の間に立ちながら作品制作を開始。代表作に全国の限界集落を探訪したドキュメンタリー映画『産土』や、6年間に渡り1人の老美容師を追い続けた『神山アローン』等がある。https://www.nagakatz.jp/

主催   公益財団法人としま未来文化財団 / 豊島区 / 東京芸術祭実行委員会
企画制作   公益財団法人としま未来文化財団
助成   令和3年度 文化庁 国際文化芸術発信拠点形成事業

お問い合わせ   公益財団法人としま未来文化財団 事業企画グループ  TEL 03-3590-7118(平日10時 – 17時) MAIL  event@toshima-mirai.or.jp

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